これまでのノーベル経済学受賞者で、人々の人生観(How to live their life)や世界観(How to
see our world)に直接訴えかけることのできた人がどれ程いただろうか。そしてこれからもど
れだけいると期待されるだろうか。1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セ
ン教授は人々の人生観や世界観に直接訴えかけることのできる稀有な人物である。
セン教授は1933年インドのベンガル地方のシャンティニケタンで生まれた。1959年には
ケンブリッジ大学(トリニティ・カレッジ)で博士学位を取得し、デリー・スクール・オブ・
エコノミックス、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス、ハーバード大学などを歴任
し、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学長を務めて、現在、再びハーバード大学で
教鞭をとっている。現在までに、『社会的選択と厚生』(1970年)、『貧困と飢餓』(1981年)、
『経済学と倫理学』(1987年)、『不平等の再検討』(1992年)、『民主主義と自由』(1999年)
など数多くの名著と百を超える学術論文を生み出している。セン教授の学問的功績は、厚生
経済学・開発経済学・社会的選択理論など経済学の領域に対してはもちろんのこと、哲学・
倫理学・政治学・法学など多領域に対して、革新的な進歩をもたらしてきた。
もともと数学と物理学を専攻していたセン教授が経済学に転じたきっかけは9歳の時、地
元インドで目撃した飢饉にあるという。以来、教授のまなざしは弱者(the least advantaged)
と彼らを支える経済制度の構築に向けられる。セン教授が社会的選択理論でなした業績は、
専門分野の発展に大きく寄与するのみならず、民主主義や権利など政治哲学的な問題に鋭く
切り込む議論として、学際的に注目されている。また、彼が厚生経済学でなした貢献は、自
由な競争市場の優れた性能に配慮する一方で、貧困や社会的不正義の除去に有効なアプロー
チとして、国連の「人間開発指標」などで実践的に応用されている。
さらには、「手続的公平性」の議論やその哲学的な議論を通じて阪大COEプロジェクトにおける行動アプローチにも多大な影響を与えている。
既成の垣根(ボーダー)を越えることは、セン教授の学問的な特徴に留まらない。セン教
授の活躍は、国境というボーダーを越え、専門分野というボーダーを越え、学問と実践とい
うボーダーを越えて、いまなお世界中に広がり続けている。日本においても、セン教授の著
作は悉く邦訳され、アカデミックな世界を越えて幅広い読者層を獲得している。また、日本
各地でなされた講演は、その寛容な人柄とあわせて、多くの人々に強い感銘を与えてきた。
さらに、セン教授が日本の研究者や学生の業績を積極的に評価し、国際的に活躍する勇気と
機会を与えてくれたことに、多くの人々が深い感謝の念を持ち続けている。
このたび、セン教授をお迎えする機会をもつことができたことは、本学にとってこのうえ
もない名誉であり、セン教授のご厚意に心から感謝する次第である。