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事業実績

集団班

  社会規範とは,「―すべし」,「―すべからず」といった,集団メンバーに共有されている「適切な行動」についての信念および期待を指す.他の霊長類の社会と比較して,ヒトの社会を複雑かつ可塑性に富んだ「人間社会」にする根本的要素の1つとして,社会規範の働きがあることは疑いを得ない.規範は,慣習,道徳,倫理,法などのさまざまな形を取りつつ,個々の社会行動を制御するとともに,個々の社会行動が周囲に影響を与えるというフィードバック経路を通じて全体的な集団状況を規定する.言い換えると,社会規範は,マイクロな“心”とマクロな“社会”をつなぐ相互規定的な動的ループ(“マイクロ・マクロ関係”)の中核を形成し,人間の心の「本質的な社会性」を明らかにしようとする目的にとって,重要な研究戦略上の位置を占める.

本研究は,このように人間集団の根幹を成す社会規範の問題を中心に,規範を支える人の認知・感情特性の仕組みを適応・進化的な視点から検討し,領域全体のテーマである実験社会科学の確立に向けて,その堅固な基盤となり得る人間モデルを提供することを目的とする.近年,人間の社会・集団行動に関する研究は,社会科学内での検討に留まらず,行動生態学・進化生物学・神経科学を初めとする,ヒトを対象とした自然科学領域との間に,急速な学問的連携を作りつつある.本研究は,社会規範の形成と維持,互恵性を支えるメカニズムなど,社会科学の基礎となる問題群に,進化ゲーム理論を軸とする数理モデルやコンピュータ・シミュレーションと,行動・生理実験を組み合わせることでアプローチし,規範に代表される社会秩序や,集団行動を支えている認知・感情特性群の働きを明らかにしていく.

本研究は,(A) 規範を支える感情・認知・集団システムの構成を検討すること,(B) 一般互酬・一般交換と呼ばれる人間集団に見られる幅広い協力関係の成立基盤を検討することの2つの軸に基づいて進められてきた.以下では,それぞれの軸について,研究の進捗状況とこれまでの主な研究成果を述べる.

(A) 規範を支える感情・認知・集団システムの構成:社会規範の成立・維持にあたって,感情が重要な役割を果たしていることは疑いを得ない.これまでの行動経済学の知見から,いわゆる“2 次のジレンマ問題”(Yamagishi, 1986)を超えて,社会規範への逸脱に対し進んでサンクション(罰)を与える者の存在が,規範の維持に貢献することが繰り返し示されている(例えば,Fehr & Gächter, 2000 参照).その一方,これまでの行動経済学・社会心理学の研究では,規範逸脱に対する加罰傾向がどのような社会生態学的な基盤をもち,どのような形で心的に実装されているのかについては,十分に明らかにされていない.

本研究では,個人の社会経済的地位(Socio-Economic Status: SES)の違いに着目し,異なる社会生態学的環境に置かれている個人が,規範からの逸脱行動にどのように反応するかについて,加罰行為を支える感情・生理的反応を中心に検討している.例えば,日常場面における感情生起パターンに関する追跡型のフィールド調査と,生理的反応(唾液中のα アミラーゼの賦活レベル)に関する計測型実験から,①社会経済的地位(SES)の高低と,逸脱行為を観察した際の個人の感情・生理反応の賦活レベルの間に線形の関係が見られること,②日常場面で種々の感情をよく経験する“感情豊か”な個人ほど,規範からの逸脱行為に対して生理的ストレスを感じやすいことが明らかになった(Kameda & Inukai, submitted).これらの結果は,規範逸脱へのサンクション行為は生理・感情的な喚起によって駆動され,そうした喚起水準自体,社会経済的地位を含む個人の置かれた社会生態学的環境に規定されるという可能性を示唆している.さらに,別の研究からは,社会経済的地位の高低と,望ましい分配のあり方(分配規範)に関する選好との間に,「不確実性への心理的耐性」を媒介とした関係が存在することも明らかにされている(Kameda,Takezawa, Ohtsubo & Hastie, 2010; Kameda & McDermott, 2009).さらに,個人が規範から逸脱することを未然に防ぐ認知的特性として,「規範の過大視」傾向(サンクションを受ける確率を実際よりも多く見積もること)についても実験的な検討が進んでいる(小野田・松本・神, 2009).

上記の検討において,社会規範は,進化ゲーム理論の考え方を援用しつつ,人々の相互作用を通じて「自生的に生じる秩序」(Hayek, 1960; Skyrms, 1996)として概念化されている.しかし,人は,集団意思決定などの集約メカニズムを通じ規範を意図的に設計する存在であり,社会科学においては,むしろそうした設計的側面が強調されてきた(Rawls, 1971).本研究では,こうした集団意思決定のメカニズムが,社会規範を含む公共財を供給・設計する上でどの程度有効に働くのかについて,進化ゲームモデルを開発し,行動実験による検証を行った.これらの検討から,①生態学的妥当性をもつ多くの自然な状況では,集団による公共財生産は限界逓減型の関数になること,②こうした生産関数のもとでは公共財供給に協力的な者とフリーライダー(非協力者)が共存する混合均衡が生まれ得ること,③そうした混合均衡のもとで多数決型の集団意思決定は独裁型の意思決定よりも高い利得をメンバーにもたらすことが明らかにされた(Kameda, Tsukasaki, Hastie & Berg, in press).こうした知見は,規範を意図的に設計し実行する上で,集団意思決定のメカニズムがフリーライダー問題を超えて有効に機能する可能性を示唆している(Kameda, 2010; Van Vugt & Kameda, in press).

(B) 一般互酬・一般交換の成立基盤:人間の利他性(altruism)をめぐる問題は,現在の行動科学においてもっとも注目を集めている統合的なテーマの1つであり,社会科学内での検討に留まらず,行動生態学・進化生物学・神経科学を初めとする,ヒトを対象とした自然科学領域との間に,急速な学問的連携を作りつつある.本研究でもこうした流れを受けつつ,単なる二者関係を越えた幅広い協力関係(一般互酬・一般交換)が集団で成立するためにはどのような心的・制度的メカニズムが必要になるのか,進化ゲームモデルや進化シミュレーションを中心とした理論的・実証的検討が展開されている.

例えば,Nakamaru & Dieckmann (2009)は,協力行動と罰行動を例に,プレーヤーが相手からの協力レベルに応じて罰の強度を変化させるという意思決定モデルを考案した.進化シミュレーションを用いてこのモデルの振る舞いを検討した結果,近傍のプレーヤーと相互作用するような社会的状況において,「ある閾値より相手の協力レベルが高いと,相手を協力者と見なして全く罰を与えないが,閾値より低いと非協力者と見なして罰を与える」という意思決定戦略が安定的に進化することが示された.この戦略は,閾値より低いと,協力レベルによらずに,同じ罰の強度で罰するというall-or-nothing 型の判断基準を持っており,規範(ここでは協力規範)からの逸脱行為に対して人がどのような加罰スタイルをもつかについて重要な理論的示唆を与える(Sekiguchi & Nakamaru, 2009 も参照).また,Mashima & Takahashi (2008)は,一般交換場面において,人がどのような選別基準に基づいて資源を与える相手を選択するのかについて,場面想定法実験により検討し,Takahashi & Mashima (2006)の理論モデルの妥当性を確認している.

また,本研究では,これらの理論的検討を具体的な事例に応用する目的で,移民社会などに見られる互助組織である「講集団」の成立基盤について,数理生物学者と人類学者が協力して検討を行った.この検討から,講集団を崩壊させてしまうフリーライダー(資金をもらい逃げする戦略)を防止するためには,①講集団を形成する時に過去の評判によってメンバーを選択することに加え,②講の運用に関する集団ルールがあって初めて講制度の維持が可能になることが明らかになった(Koike, Nakamaru & Tsujimoto,2010).この知見は,(A)で述べた,集団意思決定メカニズムが規範維持にあたって重要な役割を果たすという論点(Kameda et al., in press; Kameda, 2010; Van Vugt & Kameda, in press)を別の形で裏付けるものと言える.

 

 

 

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