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ワークショップ

2007年度 第1回 理論班ワークショップ

日時
2008年1月30日(金) 13:00-16:00
場所
東京工業大学,西9号館7階707
参加人数
18名

会議の参加者の内訳は、特定領域班員7名および東京工業大学の関係者 7名、加えて、ポリコムにより、UCLA1名、大阪大学3名の計18名であった。 この班会議では、次の2つの話題提供をもとに議論をおこなった。

13:00-13:30: 巌佐 庸(九州大学・理)
「間接互恵によって:評判によって協力を維持する」

ヒトには言語があるために社会の構成員について「よい」とか「わるい」といった評判を共有することができる。そのような評判にもとづいて人々 が助け合うか拒否するかをするとき、協力的な社会が成立する可能性がある。

どのような行為を良いとみなし悪いと見なすかというルールを社会規範とする。 そのなかで、協力を高く維持させることができる社会規範を数学的 に調べ 上げた結果、限られたものしかあり得ないことがわかった。 それらの協力的な 社会を可能にする規範には共通した特徴があり、 それを考えることで、人間社 会に幅広くみられるルール、道徳規範、法などに 共通する特徴を抽出すること ができる。

13:30-14:00: 質疑と議論

このような進化ゲームによるアプローチ、その基盤などについての議論がさまざまになされた。以下、でてきた議論のメモ:

まず、コストのかかる懲罰の行動について、イエーリングの「権利 のための闘争」における議論がある。 権利の概念は自らの経済的利得に反しても正義を確立しようとする 怒りの感情からくる。ただ、何に対して「これはゆずれない」と人格的尊厳を感 じるものは、信用(商人)、名誉(武人)、土地(農民)などと職業で異なる。 これは実験社会科学でも検出されるコストのかかる処罰、もしくはスパイトに関 連している。行動のメカニズムとしては、心理的メカニズムは生物学的基盤があ り全員に共通するが、どの状況でどの程度発現されるかは状況や他個体の行動に 影響される。

一時的には損をしても、以後に他人がつけこんでこないということ を通じて最終的には本人にとっても有利に成るのではないか。フォークランド紛 争の例。ここで風評が重要。

評判は人間以外の動物にはなく、言語をもつ動物は噂をすることで 互いに協力を強制し合うようになる。どのような行動が正しいか間違っているか は、他個体による判断による変わるため、他者がどう思っているかを常に推定し、 何が採るべき行動かを考えることが必要になる。孔子の言葉に、相手に応じて行 いを変えるベきだというものがある。これは人間とそれ以外の動物での大きな違 いである。

集団の中では多様性がある。異なる行動をするプレイヤーがある安 定な割合で混ざる状態が実現することもある。

評判を流布するコスト。その質を保証するコストは誰が払うか。

仕方なく協力ができなかった場合には非難されないが、協力できた のにしなかった場合には非難される。これは責任の概念として取り扱えるのでは。 ただ両者が区別できない場合には結果が悪ければ処罰される。法学でも注意義務 違反がある。

協力と非協力だけでなく拒否をいれた研究がある。

14:00-15:10 井上達夫(東京大学・法)
「民主主義の2つのモデル」(論文が配布された)

比較政治学で現在支配的なLijphartの考えでは、コンセンサスモデルという大 陸ヨーロッパのタイプと、ウェストミンスターモデルという英国のタイプを対比 する。前者は議論を通じで妥協を行い、ほとんどのメンバーが賛同できる案を作 成することをめざす。後者は、主張の対立点を明確にしたうえで過半数をとった 立場の案を遂行する。

コンセンサスモデルには難点がある。少数者に対して圧力がかかり反論を出し にくくなること、組織した少数者が以上に強い決定権を持ってしまうこと、妥協 の産物としての政策が遂行されるためにだれも責任をとらなくなり、どの政策が 良かったのか悪かったのかもあいまいになる。民主主義の基本は、いずれの政策 が望ましいのかがだれにも不明な状況で試行錯誤を行うというところにあると考 える(実験社会科学としての民主主義)と、ウェストミンスターモデルを核にし て司法によって少数者の権利を保障するという批判的民主主義が望ましい。


この話題提供の前に、法についての基本的な考え方の話あり:

民主主義の基本には、どれが望ましいかが誰にも不明ななかで良い政策を選ぶ 必要があるという事実がある。人間は間違え、失敗するということである。(こ れはプラトンの全知全能の哲人に政策決定を任せるとする考えと異なる)。

まず法については、2つがある:第1に、神の意志にもとづいた摂理として考 えるもので、後代には人間の本性に基づくものと考えられるようになった。これ は常に成り立ち永遠不滅と考えられる自然法である。英国では少し異なり憲法は なく、慣行にもとづいて裁判例の蓄積によって、長い間に決まったことによる縛 りとして考える。これに対して具体的状況に応じて次々と変更すべき実定法があ る。後者は意図的に規範をつくりだめなら変えて行くという意味で立法による社 会改革につながる。

現在では、立法過程は現代の多数意見にもとづいて民主主義的に政策を選ぶが、 それだけでは構造的少数者の意見は永遠に反映されないため、その基本的な権利 を保障するために違憲立法審査権が司法に与えられている。

いまは憲法は基本的人権を守るものと考えられているが、過去にはこれが保守 的にはたらいて社会の改革を遅らせた多くの例がある。たとえば、急進的哲学者 であったベンサムは意図的な立法で最大幸福を測ろうとしたが、これはコモンロ ーに反対した。アメリカでは裁判官が違憲立法審査権をもちいて人種差別や奴隷 制を維持した例がある。ミズーリ協定と奴隷の逃亡、それにともなう南北戦争の 勃発。ロックナー判決と工場労働者への搾取など。裁判所を砦として既存権力を 保持した。

メンバーが利害の調整をするという反映民主主義(コンセンサスモデル)では、 試行錯誤による良い政策への到達ができない。熟議(deliberation)民主主義で は、相手も納得する公共的な理由を互いに出しあうことによって議論の質が高め られ、それで反対意見も明確に出した上で、過半数をとった案を実行し、結果が わるかったら交代するというのが望ましい。少数者の権利を守るためにはこれに 加えて司法による審査が必要。これは外部的拒否という。

15:10-15:50 質疑と議論:

塾議の質の改善は、互いに利害の調節ではだめで公共的正当性を競うとあるが、 この公共的正当性とは何か。それは正義である。普遍化ができない権利の主張は だめ。このときに視点の反転可能性が重要。

ルソーの一般意志というのは、メンバ?の利害(特殊意志)を合計しただけの ものではなく、普遍化可能になったものである。これが正義と考えている。カン トの考えにも通じる。

具体的な法の場においては、「環境のため」「消費者保護」などの一見公共的 目的に見せながら実際には一部の業種の既得権益を守るための規制がしばしば提 案される。それを見抜いて防ぐ必要がある。Less restrictive alternativeがな いかどうかをチェックするというのは良い原則(逆に提案がLeast restrictibe alternativeかどうか)。例としては薬事法の距離制限とか、SOx, NOxを減らす ための濾過装置を規制するとか。後者は排出手段を特定せず排出目標だけを指定 する方が望ましい。

失敗から学ぶこと、インテグリテイーの問題が重要。

これまで理論経済などで「全員一致の法則(コンセンサス)」が望ましいとい うことは当然のように受け入れられているが、これが問題であることがわかった。

国際人権法で死刑廃止については、これに賛成した国が自主的に行うというや り方をとっている。死刑を続ける国も当面は自由だが、死刑廃止に賛成する国が 次第に多数になるとやりにくくなって、そのうち方針をかえるかもしれない。こ のように強制をしないやり方は望ましい。

別の例では、ヤズ干潟においてゴミ投棄が行われたのに、運転手の人が独りで ごみ取り除きを行った例がある。何年かあとに他のボランテイアが増えてきて最 終的にきれいになった。このような自然の秩序形成は面白い。

日本では、中選挙区を廃止して小選挙区制と比例代表制の混合になっているが 前者が多いために次第にウェストミンスター的になりつつある。小選挙区が評判 が悪いのは、むかし選挙区の形を変えて与党が自らに都合のよい選挙区決定を行 おうとしたことによる。

先住民の権利について。資源が最初に見つけて労働を投下したものの所有に成 るというロックの考えがあり、それが先住民の権利を守る上につかわれている。 しかし具体的状況について判断は程度の問題がある。

公共財供給と民主主義とは相反する面があるのでは。身分制社会では貴族など がある種の社会的義務として公共財供給を引き受けた。ものを所有するというこ とにはそれに義務が伴うという言葉もある。土地を20年間利用しないと所有者 が権利を失うという時効のルールは、これを反映している。

ある資源を所有するということは他者には利用させないので、有効な利用をす る義務があると考えられる。

昔、灯台をつくり維持したのは、政府ではなく商船主の倶楽部であった。他の 人はフリーライダーになるから、かれらは歴史に名を残すという意味で、公共財 を供給したのだろう。

アメリカで非常な金持ちになるとそれを寄付すべきだという社会的圧力がかか る。名を残すというインセンテイブがある。

心理学実験で、不確定性があると人の選択が非合理的になることがわかるが、 どう考えたらよいか。現在は不安が強調されすぎではないか。

以上のように、法哲学の井上先生を中心に、さまざまな刺激的な議論がなされた。

大阪大学社会経済研究所 西條研究室 Tel:06-6879-8582 Mail:secsaijo@gmail.com