研究活動

I.私の研究領域

私の専攻は、ひとことでいえば、応用計量経済学である。すなわち、現実の経済現象に対して、それがどのような状況のもとで発生したのかを計量経済学的手法を用いて解明することにある。具体的には、経済現象を描写しているデータの特性を明らかにし、どのような経済理論が、その発生過程を記述するのに適しているのかを吟味することにある。そのことを通じて、現実の経済現象の理解が深まるとともに、経済現象から経済理論へのフィードバックが働き、理論の発展にも寄与することが期待できる。

 私の具体的な研究対象は、主として日本経済であり、その中でも、資産市場と景気変動の関連性、資産市場の一般均衡分析、設備投資行動の実証分析、家計行動の実証分析、銀行行動の実証分析に研究の重点を置いている。さらに最近では親の失業と子どもの人的資本形成の関連について興味を抱き研究を開始した。

(1)資産市場と景気変動

 経済が発展してくるにつれて資産蓄積が進み、それが実物経済に大きなインパクトを与えるようになると考えられる。最近時における日本経済の姿がそれを如実に物語っているといえる。1980年代からの資産価格の高騰とともに、日本経済は戦後2番目に長い好況期に突入した。しかし、資産価格の暴落とともに好況期は終結し、90年代に入り「失われた10年」という言葉に形容される長い不況期を経験することになる。このような最近の日本経済の大きな景気変動に関心を抱き、それと資産市場の関連性に研究を傾注するようになった。この問題に関する一連の研究は、経済企画庁経済研究所のプロジェクトからスタートしている。

 ミクロ経済学において情報の経済学の進展とともに、資金の貸し手と借り手の間に情報の非対称性が存在する場合に、企業が外部から資金を調達する場合のコストを割高にし、内部資金コストとの間に差違が生ずることがわかってきた。このコストの差は「エージェンシー・コスト」と呼ばれているが、エージェンシー・コストを直接計測しようとした試みが英語論文[35] である。

 また、上記の議論を設備投資の理論に応用すれば、設備投資が資金調達の方法に依存して決まってくることになる。この理論を資産市場との関連で80年代後半のわが国に適用すれば、土地が担保価値として情報の非対称性から発生するコストを軽減することを意味する。この点についての実証分析を行ったものとしては、英語論文[11][16][18][23][37]、日本語論文[22][23]がある。

 設備投資のシグナルとして資産市場の情報を用いた概念としては「トービンの平均q」が有名であるが、果たしてトービンの平均qが企業の設備投資からあがってくる将来の収益性を正確に反映しているのか否かという問題が存在する(この問題はバブルの存在の検証とも関連している。)。この点について、1980年代中頃から90年代初期に焦点を当てて分析したものとして、英語論文[20][21]、日本語論文[20][21] がある。

 消費行動に資産価格が影響を及ぼすチャネルとして資産効果があるが、資産効果のうち、どの資産が果たして重要な役割を果たすのかを実証分析したものとして英語論文[17] がある。

 最後に、上述の企業・銀行・家計それぞれの主体行動についての実証分析の結果に基づいて、金融政策がどのような経路を経て、実物経済(とりわけ設備投資、在庫投資)に影響を及ぼすのかを、明らかにした研究としては、英語論文[25][26][38]、日本語論文[24][26][29] がある。

 これまでの資産市場と景気変動に関する実証分析の研究成果を基に、80年代中頃からのバブル期における日本経済を対象に、景気変動と資産市場の関係の解明を究明したが、その研究成果は、著書[2] にまとめられている。また、バブル崩壊後の長期低迷のメカニズムを解明した続編が著書[3]、日本語論文[36] である。2009年2月にはこれまでの研究成果を一般読者向けに纏めた著書[4] を発刊した。

 さらに、アメリカ発のサブプライムローンの不良債権化を契機としたグローバル金融危機とわが国の90年代における金融危機の発生メカニズムを比較計量分析した研究が、日本語論文[40] である。今後はグローバル金融危機の波及メカニズムに関する実証的研究を進めていきたい。

(2)資産市場の一般均衡分析

 わが国の資産市場の問題を実証的に解明する研究の多くは、低金利制度やそれに伴う信用割当といったわが国の金融市場固有の特徴を取り上げて、それらに力点を置いて分析を行うものが多く見受けられた。しかしながら、資産市場の分析を行う際の重要な視点は、それらが相互に関連し合って、ある市場の価格が他の市場で決定される価格に大きな影響を及ぼすといった一般均衡論的な見方である。この見方に立って、わが国の資産市場を実証的に考察してみようというのが、この研究の発端である。この研究は、神戸大学名誉教授の故斎藤光雄教授と神戸大学の得津一郎教授との共同研究で進められてきた。研究の流れは、各経済主体の資産需要方程式の計測から開始された。パネルデータに基づいた金融機関の資産需要方程式の実証研究が、英語論文[12] に、企業の資産選択の実証分析が英語論文[10] に結実されている。また、各経済主体の資産選択行動を前提にしてシミュレーション分析により、わが国の資産価格の変動をうまく説明できる点を明らかにした論文として、英語論文[15]、日本語論文[13][28] がある。

 近年大きな関心を集めている話題として、企業部門の現金保有の増大と銀行部門における国債保有の増大が挙げられる。前者については、慢性的に投資が貯蓄を上回る状態が続いていた企業部門が90年代には貯蓄が投資を上回る状態に転じて大きな話題を呼んだが、その要因を分析するとともに企業のメインバンク関係と企業の現金保有の関係を実証的に分析したものが未完論文[8] である。また、国の財政状況が悪化しているにもかかわらず、銀行がなぜ国債保有を増加させているのか、銀行の主体均衡から導出した国債需要関数を計測した研究が英語論文[44] である。

 未完論文[10]では、欧州諸国のパネルデータにVARモデルを適用することによって政府債務とGDP成長率の関係を探っている。政府債務からGDP成長率への影響はなく、GDP成長率から政府債務の因果関係が観察された。GDP成長率の低下が物価上昇率の低下を通じて実質金利を高め、それがさらなる政府債務の増加につながることが新たに見いだされた。

(3)設備投資行動の実証分析

 企業の設備投資行動の実証分析は、私が修士論文を作成したときからの関心事である。そして、最近のミクロ的な投資理論の発展とともに、再び、関心を高めてきている。最近における実証研究の中心的課題は、設備投資における金融的要因の果たす役割である。この点については、すでに「資産市場と景気変動」の項において詳述したので、ここでは私の処女作である日本語論文[1][2] を掲げておこう。また、最近では投資が正の場合と負の場合とによって投資の調整コストに差が生じうる点を勘案して実証分析した研究(未完論文[3])がある。さらに、海外への直接投資についての実証分析として英語論文[13][14] がある。また、将来における収益性の不確実性が設備投資に及ぼす影響を実証分析した研究として英語論文[24] がある。最後に、90年代における過剰債務が設備投資、労働需要、R&D投資に及ぼした効果を定量的に分析した研究として日本語論文[31][32]、英語論文[33]、未完論文[4][5] が、中小企業のメインバンクの健全性が企業行動に及ぼした影響を実証的に分析した研究として日本語論文[34][35] がある。また、未完論文[7][9] は「失われた10年」からの脱却過程において企業がリストラクチャリングを行うことにより生産性を向上させ、それが輸出に大きな貢献をもたらした点を示した実証研究である。この研究は、わが国が長期的な低迷を脱却する上で重要な視点を提供していると考えている。

 情報という視点から設備投資を実証分析した研究にも着手している。企業が入手したどのような情報が設備投資計画の修正に結びつくのか、また、その情報は企業の株価にも反映されるのか、企業のサーベイデータを用いて検証したものとして英語論文[34] がある。

 また、日本語論文[37] では90年代以降のわが国の設備投資行動を鳥瞰しながら、2008年以降の急激な設備投資をどのように位置づけたらよいのか、考察を加えている。さらにアジア諸国における設備投資行動へと研究を拡張している。英語論文[45] では、アジア諸国の設備投資行動がグローバル金融危機によってどのような影響を受けたのか、企業のパネルデータを用いて実証的に検討を加えた。

 また、未完論文[11]では、欧州やOECDの国別パネルデータを用いて、他国の研究開発投資が自国の生産性に対してスピルオーバー効果がある環境で研究開発投資の社会的収益と私的収益を計算し、研究開発集約的な国では前者が後者を上回っており、過小投資の状況にあることを見いだした。

(4)家計行動の実証分析

 家計は、さまざまな経済活動を営む経済主体である。まず、労働を供給してその対価として賃金を受け取る。そして、保有している資産から発生する財産所得を労働所得に加えて、そこから税金、社会保険料が差し引かれ、残りが、消費と貯蓄に振り向けられる。消費については、さらにどのような費目に総消費を配分するのか、選択がなされる。また、貯蓄についてもそれがどのような形態で行われるのか、決定が下される。すなわち、住宅や土地といった実物資産で保有するのか、それとも銀行預金や株式といった金融資産で保有するのか、といった意思決定(資産選択の問題)である。このような多様な意思決定を行う際の重要な視点が、現在のみならず将来を見越して決定を下すということである。そのような視点に基づいて家計行動を分析する理論に、「ライフサイクル・恒常所得仮説」がある。この理論をひとことでいえば、長期にわたって消費をなるべくスムーズに維持することが家計の厚生を高める、ということである。私は、このような仮説によってわが国の家計行動をうまく説明することができるのか、という点に研究を注いできた。その場合に、仮説の前提となる「資本市場の完全性(所得が一時的に低下しても家計は、消費を維持するための資金を自由に借り入れすることができる)」が満足されているのか否かに、実証的な力点を置いた。もし、この仮定が成立しなければ家計行動は、保有している流動資産や可処分所得の水準に大きく左右されることになってしまう(流動性制約)。

 ライフサイクル・恒常所得仮説の妥当性を検証した最初の論文は日本語論文[5] である。流動性制約の可能性を加味して実証分析を行ったものとしては、著書[1]、英語論文[6]、日本語論文[4][6][7] がある。英語論文[31] においては、90年代後半における流動性制約の強まりがわが国の家計貯蓄率を低下させたことを検証している。また、英語論文[32]、日本語論文[33][39] では家計が抱える過剰債務が消費行動に与えた影響をミクロデータに基づいて実証的に検討を加えている。

 ライフサイクル・恒常所得仮説のもとでの耐久財の消費パターンを分析したものとして、英語論文[3]、日本語論文[3][12](以上住宅購入に関するもの)、日本語論文[10]、著書[3] 第6章(耐久消費財の購入に関するもの)がある。また、資産選択の問題を扱った研究として英語論文 [4]、日本語論文[9] がある。また、流動性制約のもとでの労働供給・余暇の選択問題を分析した研究として、英語論文[8]、日本語論文[19][25] がある。その他に、将来の不確実性が消費・貯蓄行動に及ぼす影響を扱ったものに、日本語論文[11][14][16][44] がある。将来の所得の不確実性は大別すると2種類考えられる。一つは、失業等によって労働所得に不確実性が発生する場合である。この場合の不確実性は、景気の上昇局面、下降局面によって変化すると考えられるから、極めて循環的なものである。この問題を扱った論文が、日本語論文[11] である。後者の3論文は、より構造的な所得の不確実性、すなわち、引退後の所得の不確実性を扱っており、年金と家計行動の関連を実証分析している。

 また、英語論文[7][9] においては、現在と将来の消費の選好関係を表す時間選好率と経済成長の関係を実証的に解明している。最後に、英語論文[19]、日本語論文[17][18] においては、以上の観点を総合して家計セクターの部分均衡的な計量モデルを構築して、将来の消費・貯蓄の動向を予測している。日本語論文[38] は、これまでに提示された消費理論を整理しながら、わが国の戦後の家計行動を説明する上で、どの理論が有力な仮説たりうるのか、時系列データによる検証を加えている。

(5)銀行行動の実証分析

 80年代以降金融の自由化・国際化が進展する中で、銀行行動にも大きな変化が起こってきた。メインバンクはわが国の高度成長期を企業への潤沢な資金供給という面で支えてきたが、金融市場が整備され、さまざまな規制が取り除かれるにつれて低コストで社債や株式を発行できる上場企業は銀行借入への依存度を低下させていった。この時期における貸出行動の変化を実証分析したものとして、英語論文[22]、日本語論文[27] がある。また、90年代における地価の下落と不良債権の関連、ひいては貸出行動への影響は著書[3] の第2章で分析されている。また、90年代後半以降、ゼロ金利政策、量的緩和政策と大幅な金融緩和措置が取られてきたが、その時期における銀行の準備需要をパネルデータによって分析した研究として英語論文[30] がある。

 直接金融が台頭し資金面からみたメインバンクと企業のつながりが希薄になる状況において、企業とメインバンクの関係がどのように変化していくのか、この点についても私は関心を抱いている。この分野において神戸大学の得津一郎教授、グローニンゲン大学のエルマー・シュタルケン教授と共同研究を行っている。メインバンク以外の金融機関と企業の取引関係を実証的に分析した研究として英語論文[29][36][40][41]、未完論文[6] がある。

 また、グローバル金融危機や東日本大震災のような大きなショックが生じたときに金融機関がどのような役割を果たしたのか、実証的に分析した研究として英語論文[42]、日本語論文[41] がある。

(6)親の失業と子どもの人的資本形成の関連について

 親が職を失った場合、その家族にはさまざまな影響が及ぶ。所得の減少による消費・所得行動の変化は元より、家族関係にも離婚、自殺等の深刻な影響が及ぶと考えられる。このような家族へのストレスは当然子どもにも影響を与え、勉学意欲を喪失させ、不登校ひいては中途退学につながることになる。日本語論文[43]では、90年代における失業率の持続的な上昇と失業期間の長期化が子どもの人的資本形成に及ぼした影響を、都道府県別パネルデータを用いて分析した。さらに厚生労働省による『21世紀出生児縦断調査』の個票データを用いて、父親が職を失っている家計において、父親が子育てにどのように関与しているのか、その状況について実証的に検討を加えた。その結果が日本語論文[42] 、未完論文[8] に纏められている。これの論文は失業の親から子にわたる世代間連鎖を探る第一歩となる研究である。