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沿革

社会経済研究所は、大阪大学経済学部附属の研究施設として1954年3月に設置された社会経済研究室を発端としています。大阪大学法文学部の創設は1948年、経済学部の法文学部からの分離独立は1953年だということを考えると、社会経済研究室が経済学部独立後いかに早い段階で設置されたかが分かります。この研究室の設置は、戦後の混乱した時代に正統的な経済理論を構築することの必要性を痛感した経済学部長高田保馬の並々ならぬ努力によって初めて実現しました。研究室のスタートは、教授、助教授一人ずつという小規模なものでした。初代室長兼教授には高田が就任し、助教授には当時経済学部の森嶋通夫が併任しました(1958年以降専任)。1958年には1講座(教授、助教授、助手各1名) が追加され、その翌年には市村真一、建元正弘をそれぞれ和歌山大学、名古屋大学から研究室の助教授として迎え、少し遅れて東京理科大学から二階堂副包を同じく助教授として迎えました。

1959年には、関西経済連合会の寄附に基づいて1講座が増設され、1962年に国に移管されました。1960年には、社会経済研究所とペンシルバニア大学(米国)で共同編集の国際学術雑誌International Economic Review (IER) が創刊されましたが、当初は関西経済連合会が発行していました。このことは、本究所が関西経済界の強いバックアップを受けてきたことを示しています。名称も1962年から社会経済研究施設と変更され、研究活動の成果があがるにつれて、研究施設の英語名The Institute of Social and Economic Research欧米の経済学界の注目を集めるようになりました。今日の本研究所の基礎は、この時期の実績によるといっても過言ではありません。1964年以降における研究施設の成長は急テンポで、1965年までには5つの講座を擁することになり、安井琢磨を東北大学から社会経済研究施設長に迎えました。

1966年4月に、経済学部附属社会経済研究施設から大阪大学附置研究所社会経済研究所に改組されました。大阪大学には、すでに蛋白質研究所、産業科学研究所、および微生物病研究所の三つの自然科学の研究所が設けられていましたが、社会経済研究所の設置によって初めて社会科学の研究所が加えられたわけです。その後、幾度かの部門拡大が行われた後、1986年4月に理論経済学、計量経済学、および経済統計学の3大部門制に改編され、2004年4月には、理論経済学、実証経済学、政策研究の3大部門に改編、さらに附属施設として行動経済学研究センターが設置されました。

このように、社会経済研究所は、日本における社会科学研究の偉大な先駆者である高田保馬によって創設され、安井琢磨、森嶋通夫らの研究によって、日本における近代経済学研究の中心として広く世界に名を轟かせる存在となりました。なお、安井・森嶋両氏は、その後、文化勲章を受章しています。この伝統は、今日もなお脈々と継承されており、経済理論、実証分析、政策研究の各分野において、日本を代表する研究者を擁し、日本における経済学研究をリードし続けています。

IERは、世界各国の経済学者に論文発表と国際審査制による切磋琢磨の場を提供する機能をフルに発揮しています。 1980年のノーベル経済学賞受賞者であり、International Economic Reviewの創刊者でもある、ローレンス R. クライン博士の業績をたたえてクライン・レクチャーが1997年に開始されました。ペンシルベニア大学または大阪大学において、世界の代表的な経済学者を招き講演を行っており、報告論文はInternational Economic Reviewに掲載されます。

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