日本語での研究紹介


シミュレーションによる時間選好測定実験の検証


原題: INVESTIGATION OF THE CONVEX TIME BUDGET EXPERIMENT BY PARAMETER RECOVERY SIMULATION
著者: 下平 勇太、塩澤 康平、犬飼 佳吾
Discussion Paper No. 1185, August 2022

 目先の利益を優先するのか,あるいは将来の利益を優先するのか,という異時点間の意思決定における個人の好みを時間選好と呼ぶ.破滅的な負債行動や肥満をもたらす食習慣などの問題を分析するフレームワークとして時間選好のモデルが用いられてきた.時間選好に関するこれまでの研究の結果,通常の理論では説明できない現在バイアスと呼ばれる現象の存在が明らかにされてきた.現在バイアスとは,たとえば1か月後と1か月と1週間後の間の報酬配分に関する意思決定と,今日と1週間後の間の意思決定を比べたとき,どちらも1週間の報酬の遅延を我慢できるかという問題であるが,前者では我慢できる一方で後者では我慢できず今日得られる報酬に重きを置くという選好の逆転が発生する現象を指す.
 実験経済学の専門家は,異時点間の意思決定において時間選好を測定する実験手法をいくつか提案している.その中の一つが, Andreoni & Sprenger (2012, AER) による凸時間予算制約(Convex Time Budget,CTB)法である.CTB法は,早期ピリオドと遅延ピリオドの間で報酬の配分を決定させる実験課題を繰り返し実施し,意思決定データを準双曲割引と呼ばれる効用関数に当てはめパラメータを推定する,という選好測定手法である(図1).単に早期ピリオドと遅延ピリオドのどちらかを選ばせるのではなく,その比率を回答させる点がCTB法のユニークな点である.CTB法を用いた実験研究はこれまで数多く実施されてきた.
 ところで,CTB法による時間選好測定を行う研究において,実験実施前に効用関数のパラメータ推定の精度や正確度を検討されることは少ない.本研究では,特に個人ごとパラメータを推定する際にどの程度正確に推定できるのかをシミュレーションによって検討した.シミュレーションは,これまで報告されてきたパラメータ推定値の範囲において,準双曲割引効用関数を用いて意思決定データを人工的に生成し,生成したデータを用いたパラメータ推定を行い,推定したパラメータ値と真のパラメータ値を比較する,という手順で行われた
 シミュレーションの結果,現在バイアスの程度を表現するパラメータの正確度は比較的悪く,真のパラメータ値が0.9よりも小さい,すなわち,将来の利得を10%以上割り引く個人でなければ,推定値が1と等しいことを棄却できない,すなわち,現在バイアスが存在しないことを否定できないことを明らかにした(図2).現在バイアスパラメータ推定の正確度の悪さは,識別が困難なほど小さな差異を限定的なデータ数で推定しようとしていることによる.CTB法による現在バイアスパラメータ推定の正確度向上のためには,実験デザイン(実験課題または効用関数モデル)の修正が必要である.



図1: CTB実験の意思決定画面のイメージ.出典: 下平が本解説のために作成



図2: 2つのパラメータδ(日単位割引因子)とβ(現在バイアス)の推定値がそれぞれ 1(将来利得を割り引かない)と等しい,という帰無仮説を棄却できた割合.横軸はパラメータの真の値.縦軸は棄却に成功した率を表す.ノイズの大きさ(s)ごとプロットしている.βの成功率(右パネル)はδ(左パネル)と比べて低いことがわかる.出典: 本論文のFigure 1.

(作成)下平 勇太