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事業実績

文化班

  文化班の研究目的は,これまで「文化差」として記述的に扱われてきた認知や行動の地域差を,自己維持的な信念・誘因複合体である「制度」への心理的適応の観点から理解し,「心」と「制度」との相互構築関係を分析することにある.こうした最終的目的に向けて一連の理論的・実証的研究が実施されてきたが,ここでは①認知信念システムの文化差,②協力行動の適応基盤,③集団主義的制度の自己維持性,および人間性についての文化的信念を用いた行動が生み出す誘因構造の形成という3つの側面について,年度ごとの研究の進捗と成果について紹介する.

認知・信念システムの「文化差」に関する研究としては,まず,日本・中国・台湾の実験室をインターネットで結ぶ一連の実験を実施し,19年度には,これまでの大規模調査の結果と一貫する形での実験での信頼行動の文化差の存在を明らかにした.20年度には,他者を信頼する程度と信頼に応える程度にいずれも中国人>日本人の差が存在しているだけではなく,こうした信頼行動を相手へのシグナルとして理解している程度に大きな差があることを明らかにした.また,このシグナルの重要性の認識が,(特に中国人の間で)関係構築への投資行動と密接に結びついていることを明らかにした.22年度には,これまでに明らかにされてきた信頼行動の日中差の原因を特定するために,信頼行動が相手に対するシグナル発信として持つ意味を明らかにするための研究を実施し,また,日本と中国社会における対人関係のありかたの違いを析出するための「社会関係尺度」の開発を進めている.

感情,自己および協力行動の文化差に関する研究の目的は,これまでの文化心理学研究で自己観の違いとして概念化されてきた認知,感情,行動などの文化差を,人々の行動が集合的に生み出している誘因構造への適応戦略の違いとして再構成することにあるが,この理論的課題を遂行するためには,これまで自己観の違いを反映すると考えられてきた現象を詳細に分析・記述する必要がある.そのための研究として,19年度および21年度にかけて,包括的思考様式および感情表出,満足感と幸福感,注意配分,フロンティアスピリット,発話理解,表情変化の知覚などに関する文化比較実験を実施し,その多くで,予測される自己観の文化差と一貫する認知・行動の違いを確認した.21年度には,これまで文化心理学で用いられてきた各種の認知・行動指標間の関連性を検討する継続的研究の蓄積を進め,これらの基本的には同一の変数を測定する指標間にほとんど相関が見られないこと,またこれらの指標と文化的自己観尺度との間にも相関が見られないことを明らかにした.22年度には,これまで主として学生を対象として行ってきた研究を全国調査の形で実施し,これまで「文化」の違いとして理解されてきた認知・行動のいくつかは,いわゆる文化ではなく,都市化の程度の違いを反映している可能性があることを明らかにした.

協力行動の適応的基盤に関する研究では,19年度に,通常の最後通告ゲームと,新たに開発した一方的最後通告ゲームでの実験参加者の行動を比較し,不公正提案に対する拒否行動には,不公正な相手に対する罰としての側面以外にも,コミットメント問題解決に寄与する感情的反応としての側面が含まれていることを明らかにした.また,コンピュータ画面上に提示された利得表上の注視点の分析を通して,協力者と非協力者の間にゲーム状況を理解する枠組みの違いが存在しているとするヒューリスティック仮説を支持する結果を得た.20年度には,最後通告ゲームと一方的最後通告ゲームでの行動の比較実験の結果が,異なった実験方法を用いた場合にも追試可能であることを確認した.また,幼児を実験参加者として最後通告ゲームを実施するための装置の開発を行い,心の理論が最後通告ゲームにおける公正提案の発現に決定的な重要性を持っていることを明らかにした.21年度にはこの実験の追試を行い,心の理論は公平提案の発現には決定的な役割を果たすが,不公平提案の拒否には重要な役割を果たさないことを明らかにした.つまり,公平提案の背後には,提案の公平性に対する相手の反応を予期するための心の理論が必要とされるが,不公平に扱われたことに対する拒否は,相手の意図性に対する理解を必要としないことを示唆する結果である.この結果は,大人の参加者による不公平提案の拒否行動についての既存の実験結果と矛盾するようにみえるが,実は,大人の参加者は相手の意図性の欠如(悪気はなかった)を理解することで,拒否行動を抑制しているのだと考えられる.つまり,不公正提案の拒否は心の理論を必要としないが,拒否の抑制のためには心の理論が必要とされるという理解である.この理解は公平追求行動でこれまで検討されることのなかった可能性を示唆するものであり,今後の研究に対して大きな意味を持っている.22年度には,幼児の研究を更に進展させ,最後通告ゲームにおける公正な提案が,相手の感情状態の推測を前提条件とはせず,相手の視点取得能力のみを前提条件としていることを明らかにした.

また21年度には,最後通告ゲームと一方的最後通告ゲームを比較する実験の追試を続け,異なった実験方法を用いた場合にも,不公平さを減少させない形での感情的反応が追試可能であることを確認した.更に,こうした反応が人間の進化環境において適応的な役割を果たした可能性を示唆するコンピュータ・シミュレーションを実施し,不公正提案拒否の背後にある心理メカニズムの進化可能性の条件を明らかにした.また,公正性に関する規範からの逸脱者に対する自発的な罰の行使者は,信頼性が必要とされる場面では適切な相手として選ばれやすいことを明らかにするシナリオ実験を実施した.この実験結果は,道具的な協力行動としての罰行動が,罰行使者への個人的利益を生み出す可能性を示唆するものである.

21年度には,上述の研究で明らかにした罰行動の感情的基盤を明らかにするため,fMRI を用いた脳撮像研究を開始し,一方的最後通告ゲームでの不公平提案拒否者の島皮質前部(嫌悪感情と関連していると考えられる)の活動が高まっていることを確認した.22年度には,脳撮像研究を更に進め,最後通告ゲームのみで不公正提案を拒否するレスポンダーに比べ,両ゲームで不公正提案を拒否するレスポンダーの方が島皮質の活動がより強いのに対して,(計画的行動の遂行機能と関連しているとされている)前頭前野背外側部の活動は,最後通告ゲームのみで不公正提案を拒否するレスポンダーにより強いことを明らかにした.この結果は,一方的最後通告ゲームにおける不公正提案に対する拒否行動が,不公正な結果を是正したいという公正性への選好に基づくものではなく,不公正な扱いを受けたことに対する嫌悪感情によって生み出された行動であることを強く示唆している.協力行動あるいは公正追求行動の脳神経基盤に関しては,こうした脳撮像研究に留まらず,21年度から,実験ゲームでの行動とストレスホルモンや性ホルモンとの関係という側面からも研究が開始されている.

協力行動の適応的基盤に関するもう一つの重要なトピックは,協力者と非協力者を見分ける能力の進化である.他者一般の信頼性に関する信念(一般的信頼)は,社会的不確実性よりも機会費用の低減を重視する個人主義的社会制度のもとで,社会的不確実性の低減を重視する集団主義的社会制度のもとでよりも適応的となるとする山岸らの主張は,一般的信頼が社会的知性と共進化し,協力行動の基盤を提供するという前提に基づいてなされている.この共進化モデルを検証するため,他者の行動予測の正確性と一般的信頼との関連性を調べる実験を行い,20年度には,a)他者一般に対する信頼が高い高信頼者は,その逆の低信頼者に比べ,対象者が実験ゲームの中で実際取った行動をより正確に判断すること,b)協力者は非協力者よりも,ポジティブな表情とネガティブな表情をともにより頻繁に表出すること,を明らかにした.21年度には,一般的信頼と情動的知能の間にポジティブな関係が存在することを明らかにした.22年度には,一般的信頼が見極め能力とポジティブな相関関係にあることを示す実験的証拠を追加し,また,表情表出能力の高さが協力行動の有効なサインとして機能し得ることを示す結果を得た.また,対象者が判断者に対して情報操作をするインセンティブを持つ場合にも,判断の正確さに自己利益がかかっている判断者は,対象者の行動を見分けることができることも明らかにした.

協力行動の適応的基盤に関するもう一つの重要なトピックに,人間の集団における協力行動を支える間接互恵性がある.こうした間接互恵性を支える心のメカニズムとしての評判にたいする人間のセンシティビティーの高さを示す一連の実験研究を20年度に開始し,集団内部の人間に対する高水準の協力行動と信頼は,集団内部における一般交換の存在を前提とした,適応的評判戦略としての側面を強く備えていることを明らかにした.21年度には,更に,ネガティブな評判が協力行動の増大につながるのは集団が外部に対して閉ざされている場合であり,集団が閉鎖的でない場合にはポジティブな評判システムが有効に機能することを明らかにした.

集団主義的制度の自己維持性,および人間性についての文化的信念を用いた行動が生み出す誘因構造の形成に関しては,19年度に,「折衷的判断」に代表される東アジア人特有とされている心の性質が,それが生み出す社会的インプリケーションについての予想の差を反映していることを示す実験を実施した.その結果,日本人が「折衷的」な判断を行うのは,複数の人間の間で意見の対立が見られる場合のみであり,非社会的な状況についての判断には折衷的な判断が生じないことを明らかにした.別の実験では,小集団の中で相互監視を伴う社会的相互作用に従事した後では,相互独立性が低く相互協調性の高い人間という自己評価を行いやすくなることを明らかにした.また,これまで自己観の違いとして理解されてきた認知スタイルや行動を,特定のインセンティブのもとで有利に働くデフォルトの適応戦略であることを示す一連の実験研究を開始した.そのひとつの実験では,日本人が匿名状況においてさえ示す「自己卑下的」な自己呈示はデフォルトの自己呈示戦略であり,そうしたデフォルト戦略が必要のないことを明示すると,日本人も自己高揚的な自己呈示を行うようになることを明らかにした.20年度には,自己の行動が他者からの評価の対象となる場合には日本人はアメリカ人よりも「同調的」な行動を取りやすいが,他者からの評価の対象となりえないことが明確にされた場合には,日本人もユニークさを好む行動を取りやすくなり,この点での日米差が消滅するという結果を明らかにした.この実験結果は心理学のトップジャーナルに掲載されたのみではなく,科学一般におけるトップジャーナルであるScience 誌においてeditor’s choice の栄誉を受け,高く評価されている.更に,自己呈示における自己高揚と自己卑下についての実験をアメリカで追試し,デフォルト戦略が必要のない状況では自己高揚・自己卑下の文化差が消滅することを示した.21年度には,同調行動についての上述のシナリオ実験研究を実際の実験室で実施し,シナリオ実験の結果をより明確な形で追試することに成功した.これらの実験結果は,一貫して,いわゆる「文化特定的な心のはたらきき」が,実は特定の制度のもとで適応的な「デフォルトの行動戦略」として理解できることを示している.また,集団主義的制度のもとでは人々の内的価値や選好と,他者の持つ価値や選好の予測との間にかい離が生まれ,他者についての信念に基づく他者の反応の予測が「文化特定的」な行動を生み出すこと,さらに,他者の反応の予測は,自分自身の選好に基づく行動のみではなく,他者の行動に対するサンクション行動への反応の予測までも含むため,均衡が安定しやすくなることが示されている.

20年度には,最小条件集団を用いた内集団実験を通して明らかにされてきた,集団内での協力行動の説明原理である間接互恵性の原理が,集団主義的制度の自己維持に重要な役割を果たしていることを示す理論研究を進め,21年度には,間接互恵性の原理から想定される,集団内での相互監視の重要性を示す実験を実施し,集団主義的制度の自己維持に際して評判が果たす役割を明確にしている.

これらの一連の実験研究により,他者の行動に対する期待を生み出す文化的に共有された信念体系の重要性が示され,いわゆる集団主義的行動を生み出す信念体系が自己維持的に継続するメカニズムが明らかにされてきた.また,集団主義的な秩序が集団内での評判を通して維持されていることを示す新たな実験データが得られた.これらの研究を通して,文化を進化生物学者が定義する「ニッチ構築」,あるいは制度経済学者が定義する「制度」,すなわち,特定の誘因構造(ないし適応環境)への対応行動のマクロパターンが,個々人にとっての誘因構造(ないし適応環境)そのものを構成している状態としてとらえ,「文化特定的」な行動や認知のあり方を説明する「文化についての制度的アプローチ」の構築が進められた.

これらの研究を実施すると同時に,一連の国際ワークショップおよび国際シンポジュームを開催(札幌9回,香港1回,ソウル1回)し,研究成果の発信を行うと同時に,他研究班のメンバーを含む国内外の研究者との間で,これらの研究成果の意義に関して活発な議論を行った.

 

大阪大学社会経済研究所 西条研究室 Tel:06-6879-8582 Mail:secsaijo@gmail.com